最近、「演出」に惹かれる。
というのも、ライブに沢山行ったり、ディズニーのショーを見て「カッコいい〜、素敵!」と思うは思う。
だが、それよりタイミング良く、人やシーンにスポットライトをあて、同じもの、状態でも観る人を感動に持っていく人が凄い!と思えてしまう。
けれど、じゃあ自分があのステージに立って主役になりたいかと言われれば、ちょっと違う。
人の心を一瞬で引き込む花火や特効のタイミング。音の仕掛け。会場ごとにそれを完璧にアジャストして実行する力。そっちの方に、どうしようもなくワクワクしてしまう。
どうやら私は、「人を輝かせる」ということが、たまらなく好きみたいだ。
これは今も昔もそう。学級委員をやったり、少年野球のエースだったり注目を浴びやすかった方ではあった。輪の中心・みんなの代表…..になる場面も少なくはなかった。でもずっとどこか違和感があった。それより、裏方のような一番下で土台を作ってる方が達成感があった。
それで全体としての結果で上手くいくことがあればなお嬉しい。
「自分にスポットライトはいらないから当たりたい人に当てておくれ。その人がストレスや不安なく光れる
環境・状態作ってやっから」
そんな感じ。
「演出」が”人を輝かせる環境を作る”ということだから凄く惹かれるんだろうな
自分にスポットライトはいらない
なんか光が当たるとソワソワする。嫌な気はしないけど、隅っこに逃げたくなる。昔、少年野球の優勝決めてみんな全員胴上げ!の流れでソワソワして耐えれなくなって全速力で逃げたこともあったっけ。。。
それよりかは、主役が一番輝く最高の瞬間を計算し尽くして作り上げ、自分自身は決して表には出ず、影からすべてをコントロールする。「え、こんなところでこの伏線が…!?」みたいになってもらえるほうが最高に嬉しい。表の人とは違うアプローチで人の感情を揺さぶれるあの感覚、ワクワクする。だからこそ、興味あるしやってみたいな〜って思うよね。
もしかしてこれって育成?
「自分は表に出ず、裏方として、主役が一番引き立つ完璧な光の当て方をプロデュースする」
もしかして世間で言う『育成』って、こういうこと??
正直に言うと、そもそも私は人の育成に端っから興味がない。
どこの業界でも「人材育成だ!人を育てて一流!」
みたいな風潮があるけど
「指示待ちで教えてもらい待ちの人に教えることなんてないし、あなたができようができまいが私の人生に関係ない、勝手に将来淘汰されてしまえばいい。私は自分のレールをいくわ、アデュー」
という思想持ちなので、育成は時間の無駄って思っちゃうの。自分のやりたいことに時間使いたいし。
(あ、聞いてくれる人には答えるよ◎)
だから私は、手取り足取り教える代わりに、「質問を生まないクリアな環境と状況」を作ってしまう。初心者でもわかるしできる状態をね。
悪く言えば、誰がやっても(何も積み上がらなくても)結果だけは出る環境を作る。的な…?
でもね、ここで気付いた
私がイメージしてた「興味のない育成」は、
形の異なった木を無理やり同じ形に切り揃えるような、盆栽的なアプローチだった。
それだと人の違いの良さは活きないし、結果は出ないし、なにより面白くない。
そんな時間の無駄なことやろうと思わないよね
だからこそ自分が取り組んでいたのは
最低限でも結果の出る土台を作り、その上でそれぞれのポテンシャルを発揮できるように環境を変化させること
つまり形の異なる木を、それぞれのタイミングに応じて光れるようにアシストすること
あれ….?これって、ある種の育成であり、演出では??
人を型にハメる育成に関しては興味もないし、やりたくないけど
目の前の人が一番輝く角度を見抜いて、そこにドンッと最高の光を当てることなら、いくらでもアイデアが湧いてくる。
これも一つの育成のスタイルなのかもしれない
この方が自分も楽になるし、◯◯ハラみたいなこともあんまりない。(ハズ….)
“人”のコントロールではなく、”環境・場”に重きをおいてるからね
でも結局輝く環境に持っていくために”人”を見抜いていかないといけないんだけどね〜(という矛盾)
私は演出という名の、「人を輝かせる」仕事に興味あるんだわ。
……という。
ただのフワフワした空想のお話。
あとがき
ここまで読んでくれて本当にありがとうございます
ろっきーです
今回は最近考えてた空想のお話、いかがでしたでしょうか?
演出おもしろそう〜!から育成の話になってしまいましたが…
考え方自体は今の私の本心を綴らせていただきました。
(演出はいつかやってみたい….!!)
さて、リアルタイムではライブ1週間前になったので
ワクワクしながら乗り切りたいと思います◎
暑くなってきたので体調にはお気をつけくださいね
それでは、また👋

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